昨日お風呂♨️に入ってるとき、ふと思ったんです。
私の父はお酒が強く?というか、あまり酒癖が良くなく
夜になると、家族からは避けられてました。
家で飲み始めるのですが、途中からよく外に飲みに行っていました。
それがなぜか昨日、思い浮かんで来て…
今さら、父の気持ちが分かったんです。
大きな家を建てたけど、
父には居場所がなかった。
昼は飲んだ時の自分を後悔し、
夜は、家族から離れて(いや、家族が寄り付かなかった)一人でいるのが寂しかったんだでしょう。
自分らしくいられなかったんでしょう。
父が亡くなった時、飲み屋さんの人達がたくさん会いに来てくれました。
手を握りながら
「ありがとうございました」と心から泣いてくれました。
父には家族が知らない顔があったんだ。
私は驚きました。
きっとそこは、父が自分らしくいられる場所だったんでしょう。
自分を受け入れ、肯定してくれる場所だったんでしょう。
私はこの歳になるまで、父のことを理解してあげられなかった。
母はお酒を飲めないに、私は飲める。
父のことを理解するために、飲めるように生まれたんじゃないのかな🍷
そう感じました。
自分らしくいられる場所
本当の自分を認めてくれる場所
あって良かったな、と今さら思いました。
厳しい父の前で、私は自分らしさを失っていたのですが
父もまた、自分らしさを失っていたのです。
私が本当の父を理解するまでに60年以上かかりました。
いくらなんでも遅すぎる😱
いや、気づいていたけど、‘‘自分らしさ” “居場所”を考えたことがなかったんです。
だから
私の子どもが私を理解するまでには、あと30年かかるんだな…💧
そう考えたら、今いろいろあることも仕方ない
私が60年かかったんだから…
ぅう〜😫
昨日のパチュリのおばあさん、それを気づかせてくれたのかもしれません。